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Thank you Steve.

2011年10月5日。 わずか56年の短い生涯で、多くの人々の人生、生活、そして世界を大きく変えてしまった偉大な人物が亡くなった。

スティーブ・ジョブズ。

彼がどれほど凄い人物だったかは今さら言うまでもないので割愛するけれど、その日、僕が仮眠から目覚めるとツイッターのタイムラインは彼の訃報一色だった。 その多くは彼への哀悼と感謝。 本当に多くの人の人生を変えてしまったジョブズ。 もちろん、僕もその中の一人だ。

最初に彼の名前を知ったのは24年前。 父が嬉々として買ってきたMacintosh Plusでだった。 大のコンピューター好きで書体デザインを生業とする父がMacに手を出したのは自然な成り行きだった。 コンピューターに書体(フォント)の概念を持ち込んだスティーブに時代が変わる予感を覚えたのだろう。 Plusのケースの内側に書かれた二人のスティーブの名前を僕に見せてくれた。

父とふたりして基本操作を覚え、AdobeIllustratorのチュートリアルムービー(当時はVHSだった)を英語に苦戦しながらも見た。 渋谷の専門店でパブリックドメインソフトなどを物色したりとMac三昧な日々を送り、「日本語が扱えるようになったらすごいのにね」と冗談めかしていたら、それはあれよという間に実現され、高校在学中から父の仕事を手伝っていた僕はその後、漢字トーク6が出たことにより黎明期を迎えたDTPの世界に入った。

DTPとは別に、昔から不器用で絵がきちんと仕上げられない自分にとって、Macという画材は魔法の道具だった。 Photoshop3が出た頃には積極的にMacで絵を描くようになった。 その少し後に出たPainter4はつい最近まで使い続けることになったソフトだ。 16年前の時点で僕にとってほぼ完成されたツールになっていたMac。 これは凄いことだと思う。

1995年、ウィンドウズが発表された時、そのあまりにコンピューター臭さに驚き、Macの真似をしたところで所詮「コンピューター」だなと一笑に付したものだった。 僕にとってMacは「道具」だったから「コンピューター」であるという意識はかなり少なかった。 クリエイティブに有用なアプリケーションが揃っているというだけでなく、アーキテクチャそのものがクリエイティブなセンスにあふれていたMacは、ウィンドウズが世間に浸透した後も、クリエイター御用達として知られることになる。 ウィンドウズでクリエイティブワークをすることは、あの頃はあまり考えられなかった。

仕事としてのDTP、趣味の絵やオーサリング。 高校以降の僕にとってのモノ作りは常にMacと共にあった。

そんな僕がツイッターでスティーブの訃報を知った時、お悔やみのポストをするのをためらった。 実際、当日はスティーブについて一切ふれなかった。

なぜなら、今の僕はAppleの裏切り者という負い目があったせいだ。 OSXの発表後、それまでApple信者とまで揶揄されていた僕はAppleを見限ってしまった。 お洒落で革新的なガジェットを提供するブランドというのは、僕がAppleに求めていたものではなかった。 ごく自然に当たり前が当たり前にできる道具を提供してくれるブランドという僕の思い込みはOSXで大きく裏切られ、それから今日に至るまで、Appleのやり方不信感を覚えることになり、今のAppleファンとの間に深い溝を感じることになってしまった。

半分以上僕の意固地なくだらないこだわりだったから、AppleがOSXで行った大きな改革の是非について論ずるつもりはない。 それが正しかったかどうかではなく、僕が望んでいたものとは違ったという、ただそれだけの話でしか無いからだ。

今でもOS9をかたくなに使い続け、最近ではそれに限界を感じてウィンドウズに移行してきているのだから、AppleやAppleファンからすれば、まさしく裏切り者だ。 スティーブがいる間に僕が自分で買ったものはといえば、クイックシルバー1台とiPadだけ。 iPadはAppleに不信感を持っていた僕が迷わず買うほど文句なしに素晴らしい「道具」だった。

フォロワーには、そんな僕のスタンスを知る人も少なからずいたので、そんな僕が哀悼の意を表明していいのだろうかという躊躇があった。 そして1日悩んだ明け方、とあるAppleファンの人が、スティーブの似顔絵をアップしたのを見かけた。 今年に入ってからの痩せ衰えたスティーブの似顔絵だった。 とても似ていたし、愛に溢れていると感じたのだけど、僕ならもっと生気に満ちあふれていたころの姿を描きたいと思い、すぐさまペンを走らせた。 そして、それはすぐに描けた。

描きながら思った。 僕はスティーブが好きだし、彼のお陰で今があるのは間違いなく、その感謝はいくらしてしたりない。 ならば、僕にも哀悼の意を表するだけの権利はあるんじゃないかと。


まわりくどくなってしまったけど、あらためて・・・

ありがとうスティーブ。
今の僕があるのは、あなたのおかげです
どうか安らかに。

挿絵:東京で朝食を

ひさしぶりにファウスト誌が刊行され、小柳粒男先生の新作「東京で朝食を」に扉絵を描かせていただきました。 ノンフィクシリーズ最新作は・・・ネタバレしないようにあらすじを書くのは難しいので、是非読んでみてください。